見捨てられる恐れ

最近咳が止まらない。掃除してない部屋の臭いに反応したり、布団や洋服をはたいたときに舞うほこりに反応したり。反射と言うより大脳辺縁系の働きなんじゃないかというくらい。パブロフの犬ってこういうのを言うんだっけ?

何か自分が見ようとしていないことがあると、それが身体に地味に響いてくる。他のところに徴候が現れる。例えば、部屋の汚さとかに。

色んなものを今日適当に整理して、マスクをしながら、風呂場やキッチンの下水を掃除して、本をあらかた棚に押し込み、落ち葉みたいに沢山落ちている髪の毛やほこりをクイックルワイパーした。

環境を整理することで見方が変わる。

一体何を恐れて隠してきた?

それは1年前から放置している卒業記念のDVDだった。家のロフトの上に置き去りにされている。(そういえば、同期のDVDも探さなくては、、)

事前に必要な写真データや動画データが再生出来るかどうかを実家のDVDプレイヤーで確認した上で複製コピーを業者にお願いした。何枚か送ったタイミングで、DVDプレイヤーでは見れないですよという人が出てきた。

動画の規格がDVD対応ではなく、たまたま自分の実家のDVDプレイヤーで見れたから大丈夫だと思ってしまった。

しかし、どの拡張子で対応したらいいのか正直よく分からない。YouTubeに限定公開しているから、見ようと思えば、いつでもどこでも見ることは出来る。ただ、「モノ」が欲しい人もいるだろう。たとえ見れなかったとしても。

DVD見れないし、送るの遅いし、なんなんだよという声があがるのは目に見えている。何か、他の動画を作って(新校舎も出来たところだし)URLを書いた紙を同封したり、先生から1年終えての贈る言葉を集めて手紙にして同封するといった埋め合わせをするべきじゃないかという考えは浮かんだ。

しかし、土日休みかけて、わざわざそれする気力が起きない。寝ていたい。

そうやって1年が過ぎてしまった。

母親にも、実家にいる時「そんな風に残しておいて、あなたは最低な人だね」って酷く怒られた。

分かっているよ、そんなことは。

本来やらなければいけないことをやらずに過ごしていることくらい。

前職でお世話になった就職するきっかけになった大学の先輩にも退職後全く連絡をとっていない。

合わない人とは何回やっても合わない。

疎遠になって、出会わなければ、僕がしたことをいつか忘れてくれるだろう。

そういう思いがずっとあった。

そして、同時に自分もいつか見捨てられるんじゃないかという恐れが身体のどこかにこびりついていた。

怖い。

だから、罪の意識を被っているのか。。

身体がきしむ。

身体が昔より衰えたんだなあと整体で身体を押してもらいながら思った。整体の方も、30代後半だったが、「30以降は調子がいい状態は頑張らないとキープ出来ないですよ」と語っていた。

卓球したり、何らかの筋トレ(自体重でもよい)をやらないとまずいなと思うが、めんどくさくてやらない。月6000以上も払ってジム行くのもなあ。

 

 

 

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