技師

本当に自分の得意なところを前面に出せば、自分の役割を果たせるんじゃないかと思った。

みんながやめないでいることは難しいかも知れない。お金のこと、付き合い、色々な理由があって、出会ったり別れたりすると思う。ただ、誰かが必要としている限り、それに対して何かお返しがしたい。

先輩に一般撮影は頼もしくなったよねと言われたことが嬉しかった。おぼつかないところもあったけれど、何とか撮影は出来るようになってきた。細かい理論的なところは追いついていないけれど。

何故それをするのか、診断に関係無いことをしないことが、技師の勤めだとすれば、もっとつきつめなければいけないことが沢山ある。AIがこれから発達して、技師が出来る仕事を補完する。誰でも判断できる仕事はどんどんAIに任せていくことになる。

第三世代のニューラルネットワークを活用すれば、ある程度診断に近いことが出来てしまう。Google先生は8割方正しい翻訳をしてしまう。わざわざ全部いちから自分で判断する必要は無い。エモい(感情に訴える、心の琴線に振れる)ところが残っていく。

だからこそ、この先のところを考えている。AIを使われる側でなく使う側に回りたいし、エモいことをやりたい。得意なことを武器にお金を稼ぎたい。そして、自分が120%頑張れば、全部出来る環境にある。

第三世代のニューラルネットワークは何故それがその結果になるのか、それが本当に妥当なのかどうかを自らが判断出来ない。自己符号化器は結局誰かが決めているから、人の判断を越えることは無いのではないか、という意見も聞いたことがある。CNNなら、画像判定が人間の判断と全く違った結果を返してくる可能性もある。その場合は、どちらを良しとするか?文脈を知っている人がいると強いだろう。だから、技師をやっている意味がある。

皮膚疾患の診断AIをやっている医師の方に、自分は技師ですということを紹介した時、「技師は本当に大切な仕事、やりがいのある仕事です」と言っていた。膝のラテの写真を見ても、何でちゃんと内顆と外顆を揃えないんだ、といらっとしたり、逆に肺塞栓のCTをとっても、下肢の末梢の血管までしっかり綺麗に撮影してくれる技師さんもいて、ありがたいと言っていた。

AIが普及しても技師の仕事が無くならないのは、きっとそういうところにある。

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見捨てられる恐れ

最近咳が止まらない。掃除してない部屋の臭いに反応したり、布団や洋服をはたいたときに舞うほこりに反応したり。反射と言うより大脳辺縁系の働きなんじゃないかというくらい。パブロフの犬ってこういうのを言うんだっけ?

何か自分が見ようとしていないことがあると、それが身体に地味に響いてくる。他のところに徴候が現れる。例えば、部屋の汚さとかに。

色んなものを今日適当に整理して、マスクをしながら、風呂場やキッチンの下水を掃除して、本をあらかた棚に押し込み、落ち葉みたいに沢山落ちている髪の毛やほこりをクイックルワイパーした。

環境を整理することで見方が変わる。

一体何を恐れて隠してきた?

それは1年前から放置している卒業記念のDVDだった。家のロフトの上に置き去りにされている。(そういえば、同期のDVDも探さなくては、、)

事前に必要な写真データや動画データが再生出来るかどうかを実家のDVDプレイヤーで確認した上で複製コピーを業者にお願いした。何枚か送ったタイミングで、DVDプレイヤーでは見れないですよという人が出てきた。

動画の規格がDVD対応ではなく、たまたま自分の実家のDVDプレイヤーで見れたから大丈夫だと思ってしまった。

しかし、どの拡張子で対応したらいいのか正直よく分からない。YouTubeに限定公開しているから、見ようと思えば、いつでもどこでも見ることは出来る。ただ、「モノ」が欲しい人もいるだろう。たとえ見れなかったとしても。

DVD見れないし、送るの遅いし、なんなんだよという声があがるのは目に見えている。何か、他の動画を作って(新校舎も出来たところだし)URLを書いた紙を同封したり、先生から1年終えての贈る言葉を集めて手紙にして同封するといった埋め合わせをするべきじゃないかという考えは浮かんだ。

しかし、土日休みかけて、わざわざそれする気力が起きない。寝ていたい。

そうやって1年が過ぎてしまった。

母親にも、実家にいる時「そんな風に残しておいて、あなたは最低な人だね」って酷く怒られた。

分かっているよ、そんなことは。

本来やらなければいけないことをやらずに過ごしていることくらい。

前職でお世話になった就職するきっかけになった大学の先輩にも退職後全く連絡をとっていない。

合わない人とは何回やっても合わない。

疎遠になって、出会わなければ、僕がしたことをいつか忘れてくれるだろう。

そういう思いがずっとあった。

そして、同時に自分もいつか見捨てられるんじゃないかという恐れが身体のどこかにこびりついていた。

怖い。

だから、罪の意識を被っているのか。。

身体がきしむ。

身体が昔より衰えたんだなあと整体で身体を押してもらいながら思った。整体の方も、30代後半だったが、「30以降は調子がいい状態は頑張らないとキープ出来ないですよ」と語っていた。

卓球したり、何らかの筋トレ(自体重でもよい)をやらないとまずいなと思うが、めんどくさくてやらない。月6000以上も払ってジム行くのもなあ。

 

 

 

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タイミングと伝えるなにか

信用出来る言葉をずっと寄せ集めて、自分はだから大丈夫なんだと言い聞かせようとしていた。

占いに頼ったり、16personalitiesをやったり、ストレングスファインダーを見返したり。

これらは、現象として起こっていることをどう説明するか、というアプローチから様々に考え尽くされた人間観察の方法であり、科学的根拠、エビデンスがあるかというと難しい。

自分は太陽星座が牡羊座で、月星座が天秤座だった。行動としては突っ走るけど、対人関係でバランスを保ちたいという二律背反するような性格の持ち主だった。言われてみればそうだ。

理屈抜きで「これだ!」と思うものを見つけたらそこに進んでいくたちだが、妙に空気を読んでしまうところがある。ナンなんだろうね。

16personalitiesでは、仲介者(IFNP)と出た。

INFP型気質の人は、真の理想主義者で、極悪人や最悪の出来事の中にさえも、常にわずかな善を見い出し、物事をより良くするための方法を模索しています。落ち着きがあり控えめで、内気にさえも見られますが、内には激情と情熱があり、まさに光を放つ可能性を秘めています。全人口のわずか4%を占めているだけで、残念ながら、誤解されていると感じることが多いかもしれません。しかし、同じ考えを持つ人々を見つけて共に過ごす時、そこで感じる調和が、INFP型にとって、喜びやインスピレーションの泉となるのです。

誰にでもいいところがあり、出来ればいいところを最大限発揮して欲しいと思う。それを言葉で全部説明しなくても分かっている人とだとやり易い。月星座の天秤座の性質をここでも発揮している。

こうした気質を最大限に発揮することで、他人と親身にやり取りしながら、難なく比喩表現やたとえ話を用い、シンボルを理解し生み出しながら、自分の考えを共有できます。こうした直感的なコミュニケーションスタイルは、創造的な仕事に向いているため、INFP型の有名人の多くが、詩人や作家、俳優であるのも不思議ではありません。自己理解と世の中における自分の立場を重視し、自分の作品の中に自身を投影させることで、こうした思想を探求します。

ビョークとかが、同じタイプに属するらしい。じゃあ、ビョークを目指せば良いのかw

しかし、他の外向型とは異なり、INFP型は、ごくわずかな人々やひとつの価値ある目的にのみに集中し、一度に多くのことをやろうとすると力尽き、さらには世の中のあらゆる修復不可能な悪に落胆して、打ちのめされることさえあります。これは、INFP型の人達の楽観的な見方に頼ろうとしていた友人にとって、悲しい光景です。

確かに、色々やり出すと収集がつかなくなる。

ストレングスファインダーでは、最上思考、戦略性、学習性が上位に来た。慎重さ、適応性がそのあと。

直感に頼る前に事前にかなり本質に近いところまで調べたり知っておきたいという気持ちはある。何を目指すべきか、どうしたら一番ベストな選択を選べるようになるかは知っておきたいし、あわよくば自分で作っていきたい。

大事な人にだけ、重要な情報を伝えられるようにしたい。

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GIVER

GIVE and TAKEという本を買った。

先日、未来スケープのイベントで、プルデンシャル生命の方の人生シェアリングを聞いてきた。田舎で育った生い立ちから都会に出て、ひょんなことから就職した英会話の会社の話まで、面白かった。

土日も休めない激務の中、たまたま入った会社でなんでこんなに働かされているんだろうと思っていたが、裏方のスタッフが陰で仕事の割り振りを交渉してくれていたと知り、自分から世の中の為に働こうと思うようになったという。ばりばり自分から仕事をやるようになったという。

世の中には3種類の人間がいると言う。誰かの為に無償で助けることが出来る人(GIVE)、もらうことしか出来ない人(TAKER)、助けた分もらえると思っている人(MATCHER)。

今働いている職場でも、GIVERの信念が額に掲げられている。

得意なことでGIVE出来ればいいとここ最近ずっと思っていた。地味にそれが恐れにつながっていたような気がする。不得意なこと、出来ないこと、人を傷つけていることから目をそらす考えになっていないか。

とはいえ、ずっと誰かの為に気を張っていることも出来ない。何のやる気も起きずに服を着たまま寝てしまうことも多かった。

全ての人に同じように気を遣ったり親切に出来ない。嫌いな人は嫌い。合わない人は合わない。出来れば、出会う回数を減らしたい。ただ、医療や介護はそういう気持ちでいてはいけない仕事のはずだ。。

どうしたら、GIVERになれるだろう。

上司はよりGIVERになろうとしている人達だ。得意、不得意があるのを知っていて、人をどうやってうまくモチベートして働いてもらうか、毎日考えている。

日本では、上司を人間だと思っていない人が多いんじゃないかという話になった。上司には何を言っても良いと思っている部下がいる。でも上司も1人の人間だ。自分の問題をどうしたらいいのか悩みは尽きないし、分かってもらえない。得意、不得意、考え方の癖もある。

みんなだいたいおんなじ善のベクトルを持っているということは知っておきたい。

ただ、世の中には、他人の善意にのっかって、自分が悪いと全く思わない人もいる。あるいは、気に入らない人には何もしない人。

目の前でプリンタのコピーとか、後でやれそうな雑務をしているのに、「手伝って下さい」と言っても、遠くにいる他の若いスタッフにやらせるくそなおばさんとか。返事だけ良くて、全然手伝いにこないおばさんとか。

悪口を言っても仕方が無いけど、もう少し何とかしてくれって思う。

自分が何かを我慢する中で逆に許せないことが増えていく。そういう許せない人も許していく練習をしよう。また、僕に対して相手が嫌だな、許したくないな、と思うタイミングってどんな時なのか、出来るだけ気を遣えるようになりたい。

でも、根っこはかなり自分のことばっかり考えているんだけど。

 

 

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いいことを

えびす整体というところに行ってきた。しいたけ占いのアカウントがTwitterで紹介していて、いいのではないかと思ったからだ。

先週受けた佐々木希がCMやってる整体は筋肉の張りを丹念にほぐしてくれ、気持ちよかった。関節可動域も増えたし、プログラムとして全く悪い訳ではなかった。

しかし、筋肉の張りがほぐれたことで、不自然な姿勢の無理を支えていたところが自由になって、むしろ腰や首がこれまでより痛くなった。好転反応で咳が出始めると、腹筋を使い、腰に響いて鈍く痛むということが分かってきた。

そこで、えびす整体に行くことにした。前回行った整体の「筋肉をほぐす」方式でなく、勘所を適切に触ることで身体の状態をニュートラルに戻すということをやっている整体だった。筋肉の声が分かるということを言っていたそうだけど、それが本当なんじゃないかというくらい、指で触れただけで身体の状態が劇的に変わっていった。

施術後は、2日くらい疲れが出るからクエン酸を沢山とるのと、身体の調子を維持する為の簡単な体操を教えてもらった。(けつあげ体操とくらげ体操) 銭湯とか沢山行っていいし、身体を動かすことも沢山やっていいと言われた。

身体の中に色々な’気’がたまっていると言われた。仕事柄、元気でない人に出会うことが多いから、そういった気をもらうことが多いのではないか?と言われる。

確かにそうかも知れないなあ。色々な人の気にあてられて。

このあたりは、非科学的だと言われるかも知れないが、主観としては「分かる」ところだ。

これから、主観がどんどん変わっていくらしい。波動調整という名前で板橋などで講演や施術やセミナー等を行っている方がそう言っていた。要は自分の物の考え方、価値観がどんどん変わっていくタイミングなんだろう。心屋さんがいっている「ぱっかーん」もそういうことだと思うし。

しいたけ占いの人も、色々な人に向けたメッセージを占いと言う形で送る為に、色んな気をもらうことが多いみたいだと整体の人が言っていた。

長く生きていく中で、良いことも悪いこともあるが、出来れば、良いことがおこるように’気’を回していきたいと思う。

小学二年生の子が、かみさまという文章を書いたそう。

もし自分が死んだら、月に行って神様をやるんだ。出来れば偉い神様になりたいなという内容だった。

そこには、子供っぽいけど、生きる為にそういう考えが出来たらいいなというポイントがあった。死んでも神様になるから大丈夫だって思えていれば、生きている間の悩みが減る気がする。

自分の一生を貫いていく物語を考えて、それを信じられれば、人生の悩みが大きく減るだろう。

ここ最近、何の為に生きていて、どこに着地していくのか、だんだん見通しを立てられるようになってきた、気がする。

自分は、手の届く範囲でしか考えられない人間だ。偉そうなことも言えない。肌感覚に合う人、考え方、居場所、そういったものをちょろちょろと探している。

頑張らなければ、誰からも見捨てられてしまうんじゃないか、という恐れはやっぱりどこかに残っている。

インフルエンザで仕事を休んで家で寝込んでいた時、断崖絶壁の最果ての地に真夜中車をドライブしていたら、黒スーツをきた中肉中背のおっさんがVFXさながら空中からボンネットに飛び降りてきて、凄い勢いで窓ガラスを叩き割られ、素手で車の外壁を削り取られる、という恐ろしい夢を見た。

これは、夢分析したらどうなるんでしょうか笑

仕事に行かないことが、頑張らないこと、見捨てられることだという気持ちが根強くある。

それでも、心のどこかで、大丈夫って思えるようには少しずつなってきた。人を信頼出来るようになってきた。

何かを与えなくてはいけない、とか、しなくてはいけないということを、思わなくても、そのままでいいんだと思えるようになればいいんだけど。

啓発本(ストレングスファインダー)とか、占いっぽいことを読んだりして、差し当たり生きている間にこんな風に人生を信じられたらいいなという物語的なことがわかってきた気がする。

肩書きや今していることに限定せずに、こういう私がいて、こういうでこぼこがあって、ピースとしてハマりそうなところを探しつつ、それなりに仕事にやりがいを見出す。ワンネスもそういうことらしい。

世の中が何と無く良くなっていくように想像して、「こうしたら上手くいくんじゃないか?」ということを日々妄想して、次の日はもっとよく出来るように目の前のことを頑張る。

良いことが連鎖すれば、全体が良くなるような気持ちでぼちぼち色々やれたら良いなと思います。

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アルフォート

躁鬱の躁の状態がずっと続いていて疲れてきた。

ボタンの掛け違えというか。みんなだいたい求めていることは似ているのに、お互いの特性をよく知らないせいで不必要にいがみ合い、大事な人が離れていく原因を作っている気がする。

観客としてサッカーの試合を上の方から眺めた時に、「あの選手があの選手とうまく連携すればうまくボールが回るのに、誰かにボールが集中してしまっている」ということがよくある。技術がものをいうプレーヤーは特に。自分が築いてきた宝物を守る方に向かってしまうからだ。

フィールドに立って輝く人もいれば、監督をやった方がいい人、コメンテーターをやった方がいい人、お金を出した方がいい人、色々な立場があり、それぞれの立場で輝いていける人がいる。いつどんなことをしてもいいけど、同じ職場で一緒のチームで働いていたら、それぞれに力を発揮出来るように仕向けたい。シムシティが得意な人は、個別面談をするよりも、経営に携わった方が輝ける。プレイヤーもやった上で観客として見るとまた違う。

この前、凄く嬉しいことがあった。嬉しいと言うか楽しいと言うか、大好きだ!、というか。口べただし、やらないといけない仕事をよくすっぽかして、迷惑をかけているのはだめだなとぼんやり思ってた。優しくなりたいなとどこかで思っていた。

だから、地下で2人が話していた時、本当に何も聞こえなかったけど、何か凄い嬉しかったよ。他にも沢山嬉しいことがあって。ずっと、何かその気分を引きずっている。職場に来て、後ろ姿を見るだけで心がひりひりする。少し話しただけでそわそわする。そのせいか、妙に最近気持ちが疲れる。

良いことばかり考えている時って、大抵妄想が入っているのかもしれない。本当のことを見ていないのかもしれない。うかれて暗い落とし穴にはまってしまうのかも知れない。+のあとに−が来るのは間違いない。

でも、これから世の中はもっとよくなるし、今のチームももっとよくなるし、よくなろうとしている動きも察したい。仕事でそういう気持ちを存分に発揮出来たらいい。一緒に働けて良かったという感覚、こうすればもっと良くなるという感覚を楽しみたい。みんなにもそう思っていて欲しい。

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緑と青のオーラ

 
成増のやまだやという昔ながらの定食屋さんは、凄く素朴な味でたまに行く。みそ汁の甘さ、肉の柔らかさ、小皿の繊細さみたいなもの、年期の入ったおぼんとお椀、そういうのが好きだった。自炊が寂しいときは、そういう家庭的要素がある飯屋に行くと身も心もふくれる。

そんなお店で相席になった妙齢のカップルに話しかけられた。どこに住んでいて何をしている人なのか気になったみたいだ。正直に答えたら、実はそこの職場の誰々さんにとってもお世話になった。素晴らしい仕事をしているね、あなたのファンになります、ということを言われた。

誰も関わりのないところで、偶然こんな形で名前が出る人はそれだけでめちゃくちゃいい人だって分かる。

そんな人が自分の読んだ本に感激して著者を招いて接遇講演会というものを主催していた。話を聞くと、全然接遇の話は出てこない。あなたがどんな気持ちを持って働いているか、本心はどうなのか、ということをひたすら訴えかける90分だった。

主体的になりましょう、という話だったので、じゃあどう主体的になるかという残りのノウハウ的なところ、実践的なところは、自分で深めていかないといけない。フォームも分からず千本ノックをとりにいくのでは、「頑張らなきゃ上手くならないんだ」と言って終わっちゃうので、次回はテクニカルになるといい。

かなりトークに勢いのあり、キャラクターが独特なせいもあって、声よりも少し心理的距離を置いて眺めていたいと思ったけど、「どんな気持ちで聞いているかオーラで分かります。だだもれです」というのだった。オーラは科学的に検証出来ないけど、言っていることは凄く分かった。

オーラといえば、今日Webメディアびっくりセールっていうイベントに行ってきて、そこでカード占いとオーラ占いをやった。オーラは緑色と青色が混ざっているって言われた。緑は優しさ、青は理性だそうだ。確かに週末に象徴的な出来事があり(緑)、セールにくる前にMRIの難しい本を読んでいた(青)から、それかな笑

最近、信頼出来そうな人の勘を信じることにしている。カード占いでは「老人のdark」が出てきた。あなたは専門的な知識を活かした仕事をしている。これから深めていくタイミングだから、続けていくべきだ、という結果が出て、全くその通りだと思ったので、この結果を信じようと思った。

目に見えないことを信じる感覚は、よしもとばななさんの小説やnoteを読みはじめたこともある。職場の休憩スペースに「アムリタ」がある。図書館に今日行ったら置いてなかった。言葉の力で人に何かを伝える。

河合隼雄さんとよしもとばななさんの対談の本だったか忘れたけど、「若者の悩みは最近ますます深刻になっている。自分の信仰するものを自分で探していかないといけないから」と言っていた。別に信仰じゃなくても、人生の先輩というか、尊敬する人、ロールモデル、占い、何でもいいと思う。

自分が前の会社に就職した頃は3.11の直後だった。やることもないのに無理矢理職場に行かなくてもいいよね、という話がその後出てきた。でも、復旧したい現場や緊急を要する場は一番仕事のスキルを発揮しなければいけないタイミングだった。鉄道の復旧とかMEXCOとか本気だった。医療もそうだ。就職してすぐのタイミングは仕事する意味とか悩んだけど、悩んでいられない経験をしていたらまた違ったのかなとも思う。

前に、自分はメタなところをつかむのが得意だ、ということを書いた。メタな、というのは、結構わりと色んな意味を含んでいる。悲しい出来事に何も言わないこと、深夜に無駄に長文を送ってしまうのも、押しつけの優しさかも知れない。

やり過ぎじゃないか、お前自分を過信してないか、そういう人間じゃないだろ、ということを思ってしまう。元いた平衡状態に戻る。また、何か熱エネルギー状態が変わって、緩和して、徐々にk-spaceが埋まるように何かが分かっていくんだろうか。

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