いいことを

えびす整体というところに行ってきた。しいたけ占いのアカウントがTwitterで紹介していて、いいのではないかと思ったからだ。

先週受けた佐々木希がCMやってる整体は筋肉の張りを丹念にほぐしてくれ、気持ちよかった。関節可動域も増えたし、プログラムとして全く悪い訳ではなかった。

しかし、筋肉の張りがほぐれたことで、不自然な姿勢の無理を支えていたところが自由になって、むしろ腰や首がこれまでより痛くなった。好転反応で咳が出始めると、腹筋を使い、腰に響いて鈍く痛むということが分かってきた。

そこで、えびす整体に行くことにした。前回行った整体の「筋肉をほぐす」方式でなく、勘所を適切に触ることで身体の状態をニュートラルに戻すということをやっている整体だった。筋肉の声が分かるということを言っていたそうだけど、それが本当なんじゃないかというくらい、指で触れただけで身体の状態が劇的に変わっていった。

施術後は、2日くらい疲れが出るからクエン酸を沢山とるのと、身体の調子を維持する為の簡単な体操を教えてもらった。(けつあげ体操とくらげ体操) 銭湯とか沢山行っていいし、身体を動かすことも沢山やっていいと言われた。

身体の中に色々な’気’がたまっていると言われた。仕事柄、元気でない人に出会うことが多いから、そういった気をもらうことが多いのではないか?と言われる。

確かにそうかも知れないなあ。色々な人の気にあてられて。

このあたりは、非科学的だと言われるかも知れないが、主観としては「分かる」ところだ。

これから、主観がどんどん変わっていくらしい。波動調整という名前で板橋などで講演や施術やセミナー等を行っている方がそう言っていた。要は自分の物の考え方、価値観がどんどん変わっていくタイミングなんだろう。心屋さんがいっている「ぱっかーん」もそういうことだと思うし。

しいたけ占いの人も、色々な人に向けたメッセージを占いと言う形で送る為に、色んな気をもらうことが多いみたいだと整体の人が言っていた。

長く生きていく中で、良いことも悪いこともあるが、出来れば、良いことがおこるように’気’を回していきたいと思う。

小学二年生の子が、かみさまという文章を書いたそう。

もし自分が死んだら、月に行って神様をやるんだ。出来れば偉い神様になりたいなという内容だった。

そこには、子供っぽいけど、生きる為にそういう考えが出来たらいいなというポイントがあった。死んでも神様になるから大丈夫だって思えていれば、生きている間の悩みが減る気がする。

自分の一生を貫いていく物語を考えて、それを信じられれば、人生の悩みが大きく減るだろう。

ここ最近、何の為に生きていて、どこに着地していくのか、だんだん見通しを立てられるようになってきた、気がする。

自分は、手の届く範囲でしか考えられない人間だ。偉そうなことも言えない。肌感覚に合う人、考え方、居場所、そういったものをちょろちょろと探している。

頑張らなければ、誰からも見捨てられてしまうんじゃないか、という恐れはやっぱりどこかに残っている。

インフルエンザで仕事を休んで家で寝込んでいた時、断崖絶壁の最果ての地に真夜中車をドライブしていたら、黒スーツをきた中肉中背のおっさんがVFXさながら空中からボンネットに飛び降りてきて、凄い勢いで窓ガラスを叩き割られ、素手で車の外壁を削り取られる、という恐ろしい夢を見た。

これは、夢分析したらどうなるんでしょうか笑

仕事に行かないことが、頑張らないこと、見捨てられることだという気持ちが根強くある。

それでも、心のどこかで、大丈夫って思えるようには少しずつなってきた。人を信頼出来るようになってきた。

何かを与えなくてはいけない、とか、しなくてはいけないということを、思わなくても、そのままでいいんだと思えるようになればいいんだけど。

啓発本(ストレングスファインダー)とか、占いっぽいことを読んだりして、差し当たり生きている間にこんな風に人生を信じられたらいいなという物語的なことがわかってきた気がする。

肩書きや今していることに限定せずに、こういう私がいて、こういうでこぼこがあって、ピースとしてハマりそうなところを探しつつ、それなりに仕事にやりがいを見出す。ワンネスもそういうことらしい。

世の中が何と無く良くなっていくように想像して、「こうしたら上手くいくんじゃないか?」ということを日々妄想して、次の日はもっとよく出来るように目の前のことを頑張る。

良いことが連鎖すれば、全体が良くなるような気持ちでぼちぼち色々やれたら良いなと思います。

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アルフォート

躁鬱の躁の状態がずっと続いていて疲れてきた。

ボタンの掛け違えというか。みんなだいたい求めていることは似ているのに、お互いの特性をよく知らないせいで不必要にいがみ合い、大事な人が離れていく原因を作っている気がする。

観客としてサッカーの試合を上の方から眺めた時に、「あの選手があの選手とうまく連携すればうまくボールが回るのに、誰かにボールが集中してしまっている」ということがよくある。技術がものをいうプレーヤーは特に。自分が築いてきた宝物を守る方に向かってしまうからだ。

フィールドに立って輝く人もいれば、監督をやった方がいい人、コメンテーターをやった方がいい人、お金を出した方がいい人、色々な立場があり、それぞれの立場で輝いていける人がいる。いつどんなことをしてもいいけど、同じ職場で一緒のチームで働いていたら、それぞれに力を発揮出来るように仕向けたい。シムシティが得意な人は、個別面談をするよりも、経営に携わった方が輝ける。プレイヤーもやった上で観客として見るとまた違う。

この前、凄く嬉しいことがあった。嬉しいと言うか楽しいと言うか、大好きだ!、というか。口べただし、やらないといけない仕事をよくすっぽかして、迷惑をかけているのはだめだなとぼんやり思ってた。優しくなりたいなとどこかで思っていた。

だから、地下で2人が話していた時、本当に何も聞こえなかったけど、何か凄い嬉しかったよ。他にも沢山嬉しいことがあって。ずっと、何かその気分を引きずっている。職場に来て、後ろ姿を見るだけで心がひりひりする。少し話しただけでそわそわする。そのせいか、妙に最近気持ちが疲れる。

良いことばかり考えている時って、大抵妄想が入っているのかもしれない。本当のことを見ていないのかもしれない。うかれて暗い落とし穴にはまってしまうのかも知れない。+のあとに−が来るのは間違いない。

でも、これから世の中はもっとよくなるし、今のチームももっとよくなるし、よくなろうとしている動きも察したい。仕事でそういう気持ちを存分に発揮出来たらいい。一緒に働けて良かったという感覚、こうすればもっと良くなるという感覚を楽しみたい。みんなにもそう思っていて欲しい。

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緑と青のオーラ

 
成増のやまだやという昔ながらの定食屋さんは、凄く素朴な味でたまに行く。みそ汁の甘さ、肉の柔らかさ、小皿の繊細さみたいなもの、年期の入ったおぼんとお椀、そういうのが好きだった。自炊が寂しいときは、そういう家庭的要素がある飯屋に行くと身も心もふくれる。

そんなお店で相席になった妙齢のカップルに話しかけられた。どこに住んでいて何をしている人なのか気になったみたいだ。正直に答えたら、実はそこの職場の誰々さんにとってもお世話になった。素晴らしい仕事をしているね、あなたのファンになります、ということを言われた。

誰も関わりのないところで、偶然こんな形で名前が出る人はそれだけでめちゃくちゃいい人だって分かる。

そんな人が自分の読んだ本に感激して著者を招いて接遇講演会というものを主催していた。話を聞くと、全然接遇の話は出てこない。あなたがどんな気持ちを持って働いているか、本心はどうなのか、ということをひたすら訴えかける90分だった。

主体的になりましょう、という話だったので、じゃあどう主体的になるかという残りのノウハウ的なところ、実践的なところは、自分で深めていかないといけない。フォームも分からず千本ノックをとりにいくのでは、「頑張らなきゃ上手くならないんだ」と言って終わっちゃうので、次回はテクニカルになるといい。

かなりトークに勢いのあり、キャラクターが独特なせいもあって、声よりも少し心理的距離を置いて眺めていたいと思ったけど、「どんな気持ちで聞いているかオーラで分かります。だだもれです」というのだった。オーラは科学的に検証出来ないけど、言っていることは凄く分かった。

オーラといえば、今日Webメディアびっくりセールっていうイベントに行ってきて、そこでカード占いとオーラ占いをやった。オーラは緑色と青色が混ざっているって言われた。緑は優しさ、青は理性だそうだ。確かに週末に象徴的な出来事があり(緑)、セールにくる前にMRIの難しい本を読んでいた(青)から、それかな笑

最近、信頼出来そうな人の勘を信じることにしている。カード占いでは「老人のdark」が出てきた。あなたは専門的な知識を活かした仕事をしている。これから深めていくタイミングだから、続けていくべきだ、という結果が出て、全くその通りだと思ったので、この結果を信じようと思った。

目に見えないことを信じる感覚は、よしもとばななさんの小説やnoteを読みはじめたこともある。職場の休憩スペースに「アムリタ」がある。図書館に今日行ったら置いてなかった。言葉の力で人に何かを伝える。

河合隼雄さんとよしもとばななさんの対談の本だったか忘れたけど、「若者の悩みは最近ますます深刻になっている。自分の信仰するものを自分で探していかないといけないから」と言っていた。別に信仰じゃなくても、人生の先輩というか、尊敬する人、ロールモデル、占い、何でもいいと思う。

自分が前の会社に就職した頃は3.11の直後だった。やることもないのに無理矢理職場に行かなくてもいいよね、という話がその後出てきた。でも、復旧したい現場や緊急を要する場は一番仕事のスキルを発揮しなければいけないタイミングだった。鉄道の復旧とかMEXCOとか本気だった。医療もそうだ。就職してすぐのタイミングは仕事する意味とか悩んだけど、悩んでいられない経験をしていたらまた違ったのかなとも思う。

前に、自分はメタなところをつかむのが得意だ、ということを書いた。メタな、というのは、結構わりと色んな意味を含んでいる。悲しい出来事に何も言わないこと、深夜に無駄に長文を送ってしまうのも、押しつけの優しさかも知れない。

やり過ぎじゃないか、お前自分を過信してないか、そういう人間じゃないだろ、ということを思ってしまう。元いた平衡状態に戻る。また、何か熱エネルギー状態が変わって、緩和して、徐々にk-spaceが埋まるように何かが分かっていくんだろうか。

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眺め

それほど親しくはしていない、何回かお会いしたかなくらいの方から急に連絡があった。恐らくSNSの投稿を見て、感じるものがあったのかも知れない。

河合隼雄さんの本をちょびちょび読んでいる。吉本ばななと河合隼雄の本、柳田国男と河合隼雄の本を読んだ、(敬称略)コンステレーションという言葉、コンプレックスという言葉が何となく思い浮かぶ。悩んでいる、苦しいなあと思っている時はそれを眺めていられる人と一緒にいるのが性にあう。

以前、大学4年生の時、明電舎という会社の最終面接に落ちた。コンデンサ技術を武器にして、様々な電源供給をつなげるスマートグリッドの取り組みをやっていたり、離島に電気を供給するなど、技術を使って社会に還元する取り組みをやっているのが素晴らしいなと思った。OB訪問した時も朴訥とした人柄の方とお会いした。また、会社の社長が学生の説明会に来て、本音で話していた。本当にいい会社なんだなと思った記憶がある。

学生なりに本気で探して見つけた会社だったから、面接落ちた時は超落ち込んだ。他にも受けていた会社はあったけど受かる保証は無いから凄い不安だった。そんな時、誰からもほっといてほしくて、ネガティブな気持ちをきちんと味わってから次のポジティブに向かいたいと思っていた。かさぶたが治るまではほっといていてほしい。

そのとき、母が「落ち込んでいたら、受かるものも受からないよ」と檄を飛ばしてきた。やめて欲しかった。治りかけのかさぶたを無理矢理はがしてマキロン塗る感じだ。

そうやって、マキロン塗ろうとする感じは今も本質は変わっていない。

コンプレックスはかさぶたのあとみたいなものだ。私も同じところに星のあざがあるのみたいな、ジョジョ的発想がコンステレーションだ。きっと。星座だし。

たまたま連絡がくるのって、そういう星回りなんかも知れん。ただ、自分の悩みや苦しみは自分のものだから、他の誰かが解決出来るものではないんよね。

話を聞いて、そういう考え方もあるのか的に眺めていられる環境がいいです。

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君は天才だ。自由に生きていい

5年くらい前に初めて入ったバーに最近また通い始めている。

初めて通い始めた頃、似顔絵を描いて生計を立てている同じ年の人がいた。上手かったし、かっこよかった。

今は自分がよく似顔絵を描くようになった。

何でだろう?何がきっかけだったんだろう。あんまり覚えていないが、新人歓迎会で色んな人の似顔絵を描くというのをやって、楽しかったからかも知れない。

その前は、ミャンマーに行ってしまう友達の為に似顔絵を渡すというのをやった。

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ポストカードを使って、写真を見ながら描いた似顔絵が思いのほか喜ばれて嬉しかった。

それから、色んな場面で他人の絵を描くのを武器にしてコミュニケーションしたけれど、かなり良かった。言語化出来ないところで分かり合えるような気がしたから。

僕が描いた似顔絵が、誰かをつないでくれる。心の琴線に触れる、何かの力を持っているんだと。

先日、お世話になったイケさんの「お別れ会」に参加したとき、色んな人が来た。5年前に通い始めた頃の人も来た。昔と今がごっちゃになった。その真ん中に自分の絵を飾ってもらった。

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頼むけど、色紙の真ん中に絵を描いてくれるかなと言われて、絵を描いた。

イケさんのお姉さん(色紙を持っている人の隣)ともお会いした。私の絵を気に入ってくれて、「このえくぼは、家族としてもすごいそっくりだなって思いました」と言って下さった。イケさんに本当に何気なく描いて渡した絵だった。イケさんのLINEの最後のプロフィールだった。

愛するって何だ?愛されるって?

何か特別なことをしなければと努力しないとその人はその人であることを認められないのだろうか。

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自分が与えられた役割が何なのか、ということをだんだん分かってきた。

その人が一体何を求めているのか?というのをメタなところで理解し、分かり易い形で表現するというのが、自分の求められた役割だ。

その為に一体何をどこまで分かっていないといけないんだろう。

この間、何日かぶりに、このバーに来た。VRとか見せてもらった日。

何年かぶりにお会いした(でもあまりにも酔ってて覚えてなかった笑)方の似顔絵を描いた。

 

その時に、奥さんの絵も描いたのだけど、「これは実物じゃなくイメージで描いているのに、内面の優しさとかそういうものが表現されている!」と、旦那さんはすごく感動されていた。

同じ人を描写していても、リアルタイムで描くことで、それぞれ違う味を出している。

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そして、一緒に来ていた接骨院を経営する若者に「彼は天才だよ!!」と何回も何回も言っていた。

その方は、目を見てこう言った。

「君はどんな生き方をしてもいい」

「自由に生きていい」

今までそんな風に面と向かって誰かに言われたことなんて無かった。

そうか、自由に生きていいのか!

ポストカードに描いてきた絵。ポストカードに絵を描くスタイルは、実は横尾忠則さんもやっていたそうだ。郵便局で働きたかったけれど、叶わなくて、ポストカードや切手みたいなものは好きだったので、それを素材に使っていたようだ。

(全くの偶然だが、イケさんは郵便局で働いていた。ある意味ポストカードがつないだご縁だ。)

全く別ルートから横尾忠則さんの真似を知らずにやっているなんて、やっぱり俺は天才なんじゃないだろうか?

その後も、「ありがとう!是非ためさんに描いて欲しかったんだ!!」と言って、バーにやってきた常連さんと話をした。

 

人に感謝されることをやろう!!

あとは自由だ!!

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個人はそんなに強くない

1人遊びが好きだ。何人かで砂遊びをするとき、誰かが作る山や運河と違うところに流れを作りたい人だった。登下校を一緒にする小学校の先輩たちも何となく遠い目で見ていた。昔から何となくシニカルだった。

人より何か出来るようになりたいという気持ちが強過ぎて、小1の頃に小学校4〜5年生の公文式の教材まですすめて、先生を困らせた。小6から入った中学受験塾は半年くらいで偏差値が60以上になった。

あふれる知能をもてあまして、何が出来るかを考える。自分でやってみたい、という思いが強過ぎて、そこに正直になろうとし過ぎると、苦しくなる。切り分ける必要がある。

色んな才能がある。それを全力で活かさないといけないと思う。

 

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先日、忘年会でいちばんお世話になっている先輩が酔って潰れた。酒が強い先輩で潰れたところを見た人がほとんどいないそうだ。ろれつが回らず、足元もおぼつかない。左右で2人かかえで先輩が掴んで歩いていて、自分は横でペットボトルの水を渡そうとした時だ。

こんな言葉が聞こえてきた。

「誰のせいだと思ってるんだよ?」

自分は今の仕事の覚えが悪い。要領も悪い。確認しなければいけないことをよく忘れる。予想外の事態にうまく対応出来ない。頑張らないといけないと思えば思う程、視野が狭くなって空回りしてしまう。とっさにどうしたらいいか、分からなくなる。

僕がどんな特徴を持っている人かどうかは、以下の記事を読むと分かり易いかもしれない。

なぜ発達障害者は日本企業で働くのが辛いのか?

自分は、発達障害と診断されたことは無い。メンタルクリニックに何度か通った時に、「中間のグラデーションにあたるところだろう」と言われたことがある。酷い人はもっと酷いのだ。

ただ、自分がこの記事に対して腑に落ちる以上に、回りの人は「あいつは変だ」と思っているに違いない。

そんな社会不適合者な自分に対して、気持ちが切れそうになりながら、この一年間自分を支えてきてくれた人だというのは、分かっているつもりだ。

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自分では精一杯頑張っている。と思っている。どんな風に役に立とうか、思いを巡らせている。

インシデントを起こしてしまった後に、自分の医療に対する考え方、感じ方が間違っているんじゃないかと思って、ロスの本を読んでみたり、患者の気持ちを汲み取るためのを手に取って読んでみた。

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しかし、日常業務で焦ると似たような失敗を繰り返してしまう。

今のままでは、負のサイクルにぐるぐると入り込んで、にっちもさっちもいかなくなってしまうんじゃないか。。そんな思いが頭をよぎった。

ストレングスファインダーの本の中で、腑に落ちた内容があった。

最後に、覚えておいていただきたいことが1つある。それは、天武の才なしで訓練を重ねると、進歩するどころか燃え尽きてしまう危険があるということだ。どんな分野でも根気強く取り組まなければ進歩は望めない。怠けたいと思う時も当然あるだろうが、その誘惑に打ち勝つにはエネルギーがいる。さらに、進歩しつづけるには進歩の過程そのものからもエネルギーを得なければならない。にもかかわらず、壊れた(シナプスの)結合の修復ばかりしていると、逆の現象が起きる。エネルギーの消耗だ。どれほど周到に計画を立てて訓練を行ったとしても、ぎくしゃくとした不自然な動きは改善されない。訓練を重ねれば重ねる程、無理を感じ、もどかしい思いが増すだけだ。そうなると、気力が失われ、再度取り組もうという意欲が著しく減退する。要するに、シナプス結合の修復は割に合わない無駄な骨折りということだ。(p.70-71)

もうこの仕事を辞めた方が誰にとってもいいんじゃないだろうか。と毎日思う。

他にも得意なこと、やってみたいこと、沢山ある。

MMP(Monday Morning Problem)という言葉があるらしい。

真面目な人は「できてない自分」「対応できていない自分」に対し「もっと頑張らなきゃ。みんな出来てるし」なんて思ってしまいますよね。でも上記のように具体的に何が MMP の原因になっているのかを良く分析してみることを僕はおすすめします。

そして一旦、自分自身を肯定してみることもとても大事です。

「ああ自分には向いてないんだな(無理なんじゃなくて)」と思えれば、向いていない部分を一つずつどうやって改善していけばよいか、という次のステップに進むことが出来ます。その改善のためには痛みを伴うかもしれませんが、やる価値はあるのです。一番いけないのは「あー何となく嫌だな」という状態でいることです。

そう。今の仕事も向いていないことは予感していた。どうにかして、向いていないことを避けたいと思っていた。

ただ、せっかく医療に片足を突っ込んだのに、医療現場を見ないままでいるのは、野球のルールも知らないのに野球について語るみたいなところに近いのではないかと思ったから、医療機関に就職してみた。

もう、現場の空気感を知る為だけだったら、もう十分じゃないかな、、という気持ちと、もう少し頑張ってみないと、本当に医療を理解したことにならないんじゃないか、という気持ちがないまぜになっている。

もう、何となくキレてしまいそうな感じだ。疲れた。

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